60.志布志城跡
志布志城は内城・松尾城・高城・新城の4つの山城からなる巨大な城で総称して志布志城といいます。明確な築城年代はわかりませんが、南北朝時代の争いの中で内城や松尾城が記録に登場するようになります。島津家第6代当主氏久が南朝方の楡井を討って攻略、本拠地が鹿児島へ移っても奥州島津家にとって重要な城であり続けました。 志布志の城代となった新納氏が実質支配した時代が続きますが、島津氏と肝付氏の争いの中で永禄5(1562)年に肝付兼続が志布志城を攻略、しかし天正4(1576)年には再び島津氏の手に志布志城はわたりました。 内城の麓(現在の志布志小学校敷地)には館跡、のちには御仮屋がおかれています。内城は東西約300m、南北600m、南東は前川、北西は沢目記川が流れ急崖が囲みます。松尾城は規模は内城より小さいものの内城より古いとも考えられます。高城は内城、松尾城の麓に広がる屋敷地一帯を見下ろせる位置にあります。そして新城は町の方面の備えの城となっています。 中世山城の姿をよく残しており、平成17(2005)年内城の全体と松尾城の一部が国の史跡として指定を受けました。鹿児島県歴史・美術センター黎明館には、天正2(1574)年肝付勢揃いの様子を想定した再現模型が展示されています。