高山
高山は肝付氏の拠点のひとつでした。高山城(国指定史跡・高山城跡)が肝付氏の本城であり、肝付氏の祖とされる伴兼行が永観2(984)から居城したとも伝わります。肝付兼続(1511生~1566没)の頃には大隅半島の大部分を勢力下におきましたが、天正2(1572)年に肝付兼亮が島津氏に降伏、天正8(1580)年には阿多(現南さつま市金峰)に領地替えとなります。 これ以降一時期を除き高山の地頭となった伊集院忠棟は、地頭仮屋を弓張城の北麓(高山小学校の場所)に置き、屋敷地である麓が整備されていくことになります。弓張城は高山城の出城で北側に四十九所神社があり、神社から北側に「宮之馬場」が伸びています。宮之馬場は四十九所神社の神事・流鏑馬のために半分が舗装されておらず、整然とした麓の雰囲気をよく伝えています。