加久藤

加久藤城は、島津忠平(義弘)が北原氏の城・久藤城を補修した城といいます。永禄7(1564)年にこの城に入りましたが、同年飯野城に移り、その夫人(広瀬夫人)を置いた城です。永禄12(1569)年には長子・鶴寿丸、天正元(1573)年に次男・久保、天正4(1576)年には三男忠恒がこの城で生まれます(長子鶴寿丸は早世)。元亀3(1572)年に島津氏と伊東氏が戦った木崎原合戦の際、島津方は飯野城を本城としましたが、伊東氏は加久藤城から攻めましたが失敗、その後木崎原での合戦となるのです。 加久藤郷は江戸時代は直轄地であり、地頭仮屋は小田村にありました。