飯野

飯野の飯野城は島津忠平(義弘)が永禄7(1564)年から天正18(1590)年に松尾城に移るまでの26年間、拠点とした城です。 もとは北原氏の城でしたが、永禄5(1562)年に北原兼守が没すると伊東氏が後継者問題に介入、一族の北原兼親はこれに反発して相良氏・島津氏の後ろ盾を得て飯野城に入りますが、相良氏が一帯の地を狙って攻めたため、永禄6(1563)年、兼親は伊集院神殿に移され、この地は島津氏の支配下に置かれることになりました。 こうして永禄7(1564)年に義弘は父・貴久から与えられるかたちで飯野城に入り、ここを拠点に伊東氏に備え、また数々の合戦を経て兄・義久とともにほぼ九州を制覇するほどの活躍を見せました。 江戸時代は直轄地で、地頭仮屋は原田村にあり、飯野城跡南東に麓が形成されました。