久志秋目

直轄領であり、当初加世田郷であったのが、久志郷・秋目郷として別れ、明暦3(1657)年に合わさり久志秋目郷となりました。地頭仮屋は久志村におかれました。 中世は加世田別府に含まれ、海外との交易の拠点として名を知られました。また秋目は奈良時代に遡ると、唐招提寺を建立した鑑真が、天平勝宝5(753)年に上陸した土地です。秋目には加世田の日新寺末の正法寺(初め海蔵寺)があり、元和6(1620)年藩主島津家久の夫人持明院(島津義久の娘)が再建し、菩提寺として正法寺と改めました。また持明院の行館跡も残ります。 明治2(1869)年に、久志秋目郷、坊泊郷、。鹿籠郷が合併し、南方郷となりました。