野尻

野尻には野尻城が南北朝時代には築かれていました。永禄4(1561)年ごろには伊東氏の勢力下で、三ツ山城(小林市)、須木城・奈佐木城(須木村)とともに真幸口の守りの場所でした。 麓・紙屋・三ケ野山・江平・笛水の五ケ村で構成され、明暦4(1658)年から延宝9(1681)年までは、紙屋村を含む紙屋郷があり、江平・笛水は延宝9年まで高原郷に属していました。 野尻には伊集院忠真の墓があります。慶長4(1599)伊集院忠棟が島津忠恒(家久)によって殺されたあと、これに反抗した忠真でしたが(庄内の乱)、翌年降伏、帖佐に領地を与えられ都城から移ります。しかし慶長7(1602)年、忠恒とともに上洛せんと野尻に滞在中に殺されました。