市成

市成郷は市成島津家の私領地です。元々は土岐氏といい美濃の守護の土岐氏に連なりますが、敷根に移って敷根氏を名乗ります。戦国時代島津氏に従った敷根頼賀は戦功によって垂水の田上城を与えられます。その子頼元は慶長3(1598)年の朝鮮出兵中に戦死し、島津忠長(島津忠良の子・尚久の嫡男)の三男・立頼が後継となり、慶長4(1599)年に田上から高隈にうつされ、慶長19(1614)年にさらに市成に移ります(市成郷の成立)。その後立頼の次男・久頼は家督を継ぎ島津家久の娘を夫人とし、久頼の時代に島津姓を名乗ることとなりました。 麓の一角にある仁王像は両足寺の山門に据えられ廃仏希釈の際に埋められたものを後年掘り出したものといいます。両足寺は福昌寺末で、文和元(1352)年に土岐氏が敷根に創建、慶長19年に高隈から垂野城二の丸下に移され、香花院となった寺です。