伊集院

戦国島津氏の拠点のひとつ

伊集院は薩摩半島の交通の要所にあり、南北朝時代以降たびたび戦いの場所となっています。12世紀末に築城されたと伝わる一宇治城(伊集院城)は鎌倉時代後期には伊集院氏の支配下にあったとされますが、宝徳2(1450)年に島津氏が攻め伊集院一帯が島津氏の支配下になるとともに伊集院氏も島津氏の家臣となります。なお島津氏同士でも紛争があり、島津薩州家と島津相州家が一宇治城をめぐって争いますが、天文5(1536)年、島津貴久(相州家島津忠良の長男、本宗家島津勝久の養嫡子)は一宇治城を奪還、その後14年にわたってこの城を拠点に南薩を治めました。 伊集院麓は一宇治城から南東に馬場が伸び、神之川の南側の丘陵地にあたります。江戸時代の初めは藩主の御仮屋もありましたが、宝永6(1709)年に苗代川に移り、地頭仮屋が置かれました。 地頭仮屋は伊集院小学校の場所にあり、現在伊集院小学校にのこる門は東側の階段の上に東面して建てられていましたが、明治になり個人宅に移築保存されていたものを、昭和60(1985)年に伊集院町(現日置市)に寄贈、現在は伊集院小学校の校門として大切にされています。

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