吉利

吉利郷は吉利村一村の禰寝氏の私領地です。文禄4(1595)年17代重張の時、豊臣秀吉の命令によりそれまでの拠点禰寝院(南大隅町根占)から移され、領主仮屋が南谷に置かれ、周辺に麓がつくられました。 なお、御仮屋跡には吉利小学校がありましたが、平成30(2018)年に閉校、現在は校庭の一角に「戦国島津体験館「よしとし軍議場」」が造られています。 18代重政は島津家久(貴久四男)の娘を迎えており、19代福寿丸・20代重永はともに島津家久(忠恒)の息子です。薩摩藩では家老を勤める家柄で、宝暦11(1761)年、24代当主清香のときに祖先平重盛が小松内大臣と呼ばれていたことから小松姓に改めます。また清香は、宝暦3(1753)年、元禄12(1697)年に造られた絵図を写させこれが今に伝わって当時の吉利郷のことを知ることができます(吉利郷総絵図)。肝付家から養子に入り、29代を継いだ小松帯刀は幕末の名家老として有名です。