野田

野田郷は薩州島津家(島津家第8代久豊の次男・用久が祖)の領地であり、薩州島津家第5代実久の弟で、第6代義虎の叔父である忠兼が野田を治めていました。忠兼は優れた武将でしたが義虎に疑われ殺され、その後異変が続いたので忠兼が治めた野田、長島、阿久根などの領民は若宮神社を建てて祀っています。 薩州島津家は文禄の役に参加しなかった為豊臣秀吉の怒りをかい所領を没収されましたが、その後本宗家の島津義弘に文禄・慶長の役の褒美として返されました。 江戸時代、野田は出水郷10ヶ郷のうちのひとつでしたが、明暦3(1657)年に野田郷として成立しました。出水郷10ヶ郷の際は上名村・下名村と江内村の荒崎も含んでいましたが、寛文6(1666)年に荒崎は出水郷となり、上名村・下名村のみとなりました。上名村の熊陣馬場に地頭仮屋が置かれ、この熊陣馬場と下名村の本町と八幡に武士の大部分が住まいました。八幡には建久5(1194)年島津氏初代忠久の命で創建したと伝わる感応寺があり、現在も島津氏第5代までの墓(五廟社)があります。