帖佐

帖佐は島津義弘が居館を置いた場所として知られます。文禄4(1595)年、島津義弘は栗野から帖佐移り、現在稲荷神社境内の場所に宇都御屋地を置きました。 義弘は慶長11(1606)年に平松に、翌慶長12(1607)年に加治木に移り、館には義弘の娘・千鶴(御屋地様)が住みました。千鶴は豊州島津家の朝久に嫁ぎましたが未亡人となっていました。そして千鶴の子・島津久賀が地頭に任命され、正保元(1644)年に亡くなるまで勤めました。また島津久賀は寛永11(1634)年に黒木を領地として与えられています。 地頭仮屋は帖佐小学校の場所に置かれ、その周辺に麓が形成されました。