福山

福山は古い名前を廻といい、治承4(1180)年に源頼政の孫・源宗綱が廻村を与えられ廻城に入り廻氏を名乗ります。その後応永年間(1394-1428)以前に島津奥州家の勢力下にはいったとされますが、永禄4(1561)年肝付氏がここを攻め天正2(1574)年まで支配下に置きます。その後は肝付氏との戦(廻城の戦い)で戦死した忠将の子・以久領となりますが、文禄4(1595)年には伊集院幸侃に与えられ、庄内の乱後に島津氏直轄地となり山田有信が地頭となり、この頃福山と改称されたと考えられます。廻の浦浜は海上交通の要所であり、文禄3(1594)年に豊臣秀吉の命令で鹿児島に流された近衛信輔も立ち寄っています。 地頭仮屋は海に面した福山小学校跡にありましたが、台地上には鹿児島藩内で最大の馬牧・福山野馬牧がありました。