89.蒲生八幡神社
蒲生城を築き蒲生氏の祖である上総介舜清は宇佐八幡宮から垂水に下向し、直後吉田と蒲生を管轄することになり、この時遷宮されたと伝わるのが蒲生八幡神社です。舜清の父・教清は宇佐宮留守職で、この宇佐宮の分霊を勧請したのであろうとされています。戦国時代、蒲生氏が島津氏に敗れたのち一族の谷河氏が社家として守っていましたが、島津義弘が元和4(1618)年に社殿を再興、以後補修等は藩費で行われるようになりました。 正八幡若宮と呼ばれ、江戸時代には神守院を別当時とし、蒲生の総社として崇敬を集めました。天明4(1784)年から翌年にかけて造り替えが行われ、この時の社殿が今に伝わるものの基礎となっています。主祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后。