小根占

根占は富田城(禰寝城・本城)に拠る禰寝氏が中世以来治めていましたが、元亀4(1573)年に禰寝重長は大隅攻略を進めていた島津義久と結びます。島津氏と敵対していた肝付氏が禰寝氏を攻めるようになり、当地は戦いの場となりました。禰寝氏は文禄4(1595)年に吉利(現日置市日吉吉利)に移され、根占は地頭が派遣される直轄地となりました。 地頭仮屋は慶長15(1610)年に川北宮原(現神山小学校の一角)においたものを、寛永5(1628)年に浜馬場に移し「浜の仮屋」と呼びましたが、火災のため再び宮原に移転しました。地頭仮屋を中心に麓が形成され、雄川を挟んだ対岸に及び、諏訪神社も麓に含まれます。明治に入り常備隊が設置された頃は神山小学校の北東の小高い場所に祀られた若宮神社の隣が射場となり士族や老幼問わず腕を競ったといいます。(写真は若宮神社)