山崎

山崎郷は川内川とその支流である久富木川、泊野川の流域にあたり、私領地である宮之城、入来、藺牟田とも接する交通の要所で、薩摩藩の直轄地でした。 山崎村に、大村郷(伊佐郡)の久富木村と東郷(薩摩郡)の二渡村・白男川村・泊野村が加えられ五つの村で山崎郷となり、寛永から明暦にかけて十八氏が各地から移されたと伝わり、これを「十八人郷士」といいます。 このほかにも移住などがあり、上・中・下の三組の郷士の組がありました。 地頭仮屋は、もともとは野町の宿場屋敷にありましたが、文化11(1814)年に移りました。その際植えたという銀杏と門が今に伝わります。

山崎郷は川内川とその支流である久富木川、泊野川の流域にあたり、私領地である宮之城、入来、藺牟田とも接する交通の要所で、薩摩藩の直轄地でした。
山崎村に、大村郷(伊佐郡)の久富木村と東郷(薩摩郡)の二渡村・白男川村・泊野村が加えられ五つの村で山崎郷となり、寛永から明暦にかけて十八氏が各地から移されたと伝わり、これを「十八人郷士」といいます。
このほかにも移住などがあり、上・中・下の三組の郷士の組がありました。
地頭仮屋は、もともとは野町の宿場屋敷にありましたが、文化11(1814)年に移りました。その際植えたという銀杏と門が今に伝わります。