指宿

宮ヶ浜駅の北約500mにある指宿城(松尾城)は指宿五郎忠村の築城とも伝わる城でJR指宿枕崎線が通っているため失われている部分もありますが、本丸部分には松尾崎神社が祀られています。 南北朝時代には懐良親王が滞在したこともあります。指宿氏の支配から始まりますが城代や地頭が様々入れ替わり、それだけこの地の支配権が重要視されたことがわかります。天文4(1535)年頴娃兼洪の家老津曲氏がこの地の内地頭となりますが、頴娃氏が島津氏によって天正16(1588)年に頴娃・山川の領地を失うと同時に指宿もその直轄地となりました。 麓は指宿城を中心とする宮ヶ浜につくられ、地頭仮屋は宮ヶ浜の城(じょう)にありました。また狩集、中福良、大園原等の谷山筋沿いに武士が住まいました。宮ヶ浜には浦町もあったほか、指宿郷の中には湊浦、摺之浜、田良浦、尾掛浦など浦も多くありました。 天明6(1786)年に各浦の有力者と思われる、湊浦の源次兵衛、宮ヶ浜の休次郎、摺之浜の彦兵衛が地頭仮屋の石垣・板塀等の修理料を出したことによって苗字帯刀を許された記録があります。