真幸

真幸郷は、幕末から明治初年にかけて馬関田郷と吉田郷を合わせて成立した郷です。 当地一帯は、薩摩・大隅・日向・肥後の接点であり争いが多い地域でした。馬関田には、南北朝時代に馬関田城(古城)が築かれ、戦国時代に入ると北原氏の馬関田城(新城)が築かれています。永禄11(1568)年に伊東市が飯野城を攻撃した際は、馬関田の百姓は伊藤方に加勢したおいいますが、天正4(1576)年に島津氏の高原城攻めの際はこの軍に加わり、島津氏の手中にあったことがうかがわれます。 吉田にも文明年間(1469-87)年には北原氏の吉田城が築かれましたが、元亀3(1572)年の木崎原合戦では、島津氏は本城を飯野城、支城を加久藤・吉田城としており、吉田周辺の武士も島津方となっています。 馬関田(まんがた)郷は直轄地であり浦村・島内村・川北村・柳水流村の4ヶ村からなります。地頭仮屋は川北村にありました。 吉田郷は真幸吉田とも。向江村・水流村・内竪村・亀沢村・昌明寺村・岡松村の6ヶ村からなります。地頭仮屋は内竪村にありました。