高岡 高岡郷は、関ヶ原の戦いから戻った島津義弘が、領地の境の警備を強化するため、久津良名(現宮崎県宮崎市高岡町中央部)を城地にとりたて「天ケ城」と命名し、高岡外城(高岡郷)としました。 高岡は去川関(宮崎県高岡町)より外にある関外四ケ郷(高岡・穆佐・倉岡・綾)の中心で、12ケ村からなり、地頭仮屋は内山村におかれ、去川関は内山村の飛び地でした。 高岡郷がつくられた際には、郷士が各地より移住し、伊集院、佐土原、高原をはじめ50カ所以上にのぼりました。