中世には豊前宇佐宮領の一部であったと思われ、小山田氏が治めていましたが、伊東氏がこの地に勢力を伸ばすとその下に入り、応永年間(1394-1428)には伊東四八ケ城の一つ、綾城が築かれました。 伊東氏が豊後に退いたのちは島津氏領となり、江戸時代は直轄地でした。南俣村・北俣村の二ケ村で、高岡・穆佐・倉岡とともに関外四ケ郷と呼ばれました。北俣村の竹野に綾在番所があり、鹿児島から横目が四か月交代で赴任しました。