勝岡

勝岡は戦国時代から記録に現れる地名です。勝岡城があり、享禄3(1530)年ごろは、伊東氏の庄内三俣の八外城のひとつで、天文年間(1532-1555)頃、海江田氏が伊東氏から勝岡を与えらていました。天文2(1533)年伊東祐充が死去すると、北郷氏・北原氏・肝付氏はこの三俣一帯への攻撃を強め、高城の合戦で伊東氏は敗れます。また勝岡は北郷氏が奪いました。 文禄3(1594)念の太閤検地の際、勝岡は北郷忠虎領で、翌年伊集院忠棟領になりますが、庄内の乱を経て北郷氏領に戻り、慶長19(1614)年に島津氏直轄領となりました。 地頭仮屋は蓼池村の勝岡城の麓におかれました。