高城(たかじょう)

高城には中世から高城があり、月山日和城ともいいます。 高城は三俣院の中心地であり、南北朝時代は南朝の肝付兼重と北朝の畠山直顕が当地で争い、兼重は高城に拠り三俣八郎とも名乗りました。その後は島津氏によって新納氏に与えられたとも、北郷氏が代々所領したとも。文明年間(1469-1487)には伊東氏の支配下にあったと思われ、天文2(1533)年以降、伊東・北郷・北原・肝付氏が再びこの地を争いますが、北郷氏が抑えました。 天正15(1587)年に豊臣秀吉の九州仕置、文禄3(1594)年の太閤検地を経て高城は北郷忠虎に与えられ、翌年には伊集院忠棟領となります。慶長4(1599)年の庄内の乱ののち都城島津家(北郷氏)領となりますが、慶長19(1614)年に返上され、直轄地となりました。 地頭仮屋は穂満坊村に置かれました。今も武家門が多く残り麓のまちなみを楽しむことができます。穂満坊村には野町もあり、高城旧後藤家商家交流資料館がその繁栄の一端を伝えます。