小林

小林を含む一帯の旧名は古くは夷守(ひなもり)、中世は三之山(みつのやま)といいます ただ中世の三之山は高崎、高原、野尻を含むより広範囲を指すとも。慶長年間(1596-1615)以降に小林が外城名となったともいいますが、確かではないようです。 永禄年間(1558-70)には伊東氏の支配下にあり、永禄7(1564)年、伊東氏と対峙する島津氏は、島津忠平(義弘)を飯野におき、永禄9(1566)年には小林城を攻撃しますが伊東が勝利します。元亀3(1572)年の木崎原合戦で島津氏が勝ったのちも小林は伊東氏の支配下にありましたが、天正4(1576)年に高原城が島津氏によって攻略されると小林(三ノ山)、須木、名佐木も明け渡して退却しました。この時島津忠平、義久が城に入り勝利を祝っています。 江戸時代初期には小林城に地頭館がありましたが、元和元(1615)年の一国一城令によって廃城、上ノ馬場に地頭仮屋がおかれました。