高隈

南北朝時代に肝付兼重が南朝方として活躍した後、南朝方を支えた楡井頼仲が大隅半島を南下する際に高隈城も築いたと思われます。観応2(1351)年禰寝氏が高隈城の楡井氏を攻めていますが失敗。文明5(1473)年には田代氏が、その翌年には鹿屋氏が、享禄年間(1528-32)年には新納氏の領地になったという記録があります。天正7(1538)年に肝付氏は禰寝氏に一度与えますが天文11(1542)年奪い返しています。天正2(1574)年に肝付氏が島津氏に降伏すると以後は直轄地になりました。 江戸時代初めは串良郷に含まれていましたが、明暦2(1656)年に高隈村一村が分かれて高隈郷となり、その後上高隈村・下高隈村に分かれました。地頭仮屋は上高隈村にありました。 江戸時代以降は笠之原に新城島津家や垂水島津家の私領地の家来によって開かれた堀と呼ばれる開墾地が開発されました。