頴娃

頴娃は中世、平姓頴娃氏が治めていましたが、島津元久がこれを明徳年間(1390-94)年に討ち、応永17(1410)年には島津元久の弟・久豊が頴娃に入ります。その後当地を任された肝付兼政が代わって頴娃氏(伴姓)を名乗ります。兼政は久豊の三男の扱いを受け、頴娃・指宿・山川を支配しました。4代兼洪の時に島津忠良に味方し、七代久虎は島津義久・義弘とともに戦い活躍します。こうして頴娃氏の支配は戦国時代まで続きますが、久虎が天正15(1587)年に急死するとわずか5歳で継いだ八代久音は翌天正16(1588)年には領地を没収され、頴娃は島津氏の直轄地となりました。 地頭仮屋は現在の頴娃歴史民俗資料館の場所に置かれ、周りに麓と野町がつくられました。 また慶長5(1600)年の一時期、庄内の乱に敗れた伊集院忠真が頴娃の領主であった時期があり、現在の頴娃小学校の敷地が彼の滞在時の仮屋(旧仮屋)と伝わります。