高城(たき)

中世の高城は宝治2(1248)年、川内川流域(東郷・祁答院・鶴田・入来院・高城)に入った渋谷光重の五人の息子のうち重貞が入った地であり、子孫は高城氏を名乗ります。妹背城を居城としました。応永29(1422)年に島津久豊が総州家の島津守久を北薩の地に攻め、入来院・祁答院が久豊、高尾野は守久に味方しました。高城氏は兄は守久に味方し、弟は久豊に味方しようとしましたが結局高城氏は城を捨て、島津氏、東郷氏と支配が移り江戸時代は直轄地となりました。地頭仮屋は城跡の南側にありました。