本城

藤原の頼長の曽孫藤原重妙は、建久5(1194)年に京都より下向、本城に城を構えたと伝わります。本城は菱刈氏の本拠地という意味ですが、菱刈本城(太良城・平城・平良城)の築城の時期は不明です。菱刈氏は一時期、栗野・横川・久木野・葦北まで治める勢いがありました。 永禄10(1567)年に馬越城が島津氏に攻められると菱刈氏は本城を含む八城を放棄し大口城に籠り、永禄12(1569)年に降伏。菱刈重広には本城と曽木が与えられましたが、天正12(1574)年に謀反の噂がたった為、重広は曽木を島津氏に返し、伊集院上神殿に移りました。 江戸時代、本城郷は直轄地で、本城城跡の麓に地頭仮屋が置かれ、周辺に麓がつくられました。 明治2(1869)年、本城郷と曽木郷が合わさり、太良郷となりました。