内之浦

内之浦は長く肝付氏の支配下にあった場所です。また中世以来の良港をもち、戦国時代から近世初期にかけては唐船も入港、琉球・ルソンとの貿易拠点でもありました。 天正2(1574)年に肝付氏が島津氏に従うと、当初は高山・姶良(吾平)・内之浦・木志良(岸良)がその領地とされましたが、天正5(1577)年には高山一カ所のみとなりました。その後内之浦は恒吉(曽於市大隅)・永吉(大崎)とともに北郷氏に与えられますが、文禄4(1595)年から庄内の乱終結の慶長5(1600)まで、高山などともに伊集院忠棟領でした。 その後北郷氏領に復しますが、明暦元(1655)年までにその領地でなくなったと思われます。また近世初期には高山外城という位置づけでしたが、寛永17(1640)念に南浦(南方)・小串(北方)・岸良の3つの村で内之浦郷となりました。明暦4(1658)年から寛文元(1661)念の間のみ岸良村がわかれて外城となりましたが、内之浦に戻りました。 地頭仮屋は南浦(南方)村にあり、麓がつくられました。