高江

高江郷は江戸時代、高江村、久見崎村、寄田村で構成されました。 中世、高江の高江城は峯城ともいい、高江を領した高江氏が居城したともいいます。応安5(1372)年に総州島津家師久は総州島津家の本拠地である碇山城に攻め寄せようとする南朝方に対して高江城で備えますが、南朝方の入来院氏などによって落城する峯城合戦の舞台となります。また応永28(1421)年には総州島津家の島津忠朝が鹿児島へ去り、奥州島津家のものになったと思われます。その後入来院氏のものとなり、永禄12(1569)年に入来院重嗣が島津貴久に降伏すると高江は島津氏へと支配は移ります。文禄4(1595)年に高江村は北郷三久(北郷家10代時久三男・平佐北郷家初代)に、久見崎村は北郷忠能(北郷家12代)に与えられましたが、再び島津氏直轄地となりました。 地頭仮屋は高江城(峯城)の麓にありました。ちなみに久見崎浦は藩の軍港として寛永年間(1624-44)に水引郷から久見崎にその機能が移され、寄田村には野牧がありました。