永利

永利にある永利城は島津総州家と島津奥州家の争いの舞台になったこともあります。応永26(1419)年永利城に居城していた総州家島津忠朝を奥州家島津久豊が攻め、忠朝側には相良氏、北原氏など、久豊側には市来氏、入来院氏がいました。結果久豊側が勝利し、永利と永利城は入来院氏に与えられていました。 江戸時代は直轄地となり、山田郷の地頭仮屋は永利城の麓に置かれましたが、のちに馬場に移ったといいます。 また百次郷の地頭仮屋は和田にありました。 明治2(1869)年に山田郷と永利郷が合併して永利郷が成立し、山田村野首が中心地でした。