鹿屋

鹿屋は天正2(1574)年に肝付氏が島津氏に降伏すると直轄地となります。 天正8(1580)年に鹿屋に伊集院忠棟が入り城下の整備を行いましたが、文禄4(1595)年、 忠棟が庄内に移り、慶長2(1597)年には清水から垂水島津家・久信が入りその私領地となりました。久信は慶長9(1604)年に垂水に移り垂水、鹿屋の両方を治めますが慶長16(1611)年に隠居し、その次男・久章は鹿屋の中の新城を与えられ新城島津家がつくられました。正保2(1645)年に久章が亡くなると鹿屋、新城は島津氏の直轄地となり、のち新城が再興されたため、鹿屋郷が直轄地としてその後続きました。新城島津家が一時期断絶した際に垂水島津家家臣筋の家が多く鹿屋に住まうようになったと伝わります。鹿屋城周辺の古前城、打馬などに麓がつくられました。