郡山

中世は満家院に含まれ大蔵氏が治め、その後一族の郡山氏が南北朝時代まで領地としていました。また西俣や川田などはこれも大蔵氏の一族比志島氏とその一族が治めました。 鎌倉時代末期から徐々に島津氏が勢力をのばし、郡山氏・比志島氏をその勢力下におき、比志島氏と比志島氏の一族・川田氏は戦国時代以降島津氏の重臣となりました。 なお、観応元(1350)年、南朝方の伊集院忠国は北朝方である島津氏の配下郡山頼平が守る郡山城を落としていますが、戦国時代前期には島津氏の領地となり郡山城には文明2(1470)年頃家老村田経安に与えられています。その後郡山の北に接する入来院氏は島津氏第14代勝久に頼み郡山城を得たと思われますが、天文14(1545)年になると島津貴久は入来院氏に謀反の疑いありとして郡山城を攻略、入来院氏から満家院を奪取しています。 江戸時代は直轄地であり、郡山城の麓に地頭仮屋が置かれました。