阿久根 阿久根は中世では莫禰と書き、莫禰郡司であった莫禰氏が治めていましたが、15世紀後半になると薩州島津家初代用久に莫禰氏も仕えるようになります。用久が阿久根と改めたという説もあります。莫禰氏は薩州島津家が滅びるまでの間莫禰城(阿久根城)を居城としており、江戸時代はに直轄地となった際も最初は阿久根城が阿久根麓の山城で山下村に麓がありましたが、出水筋(街道)に近く、阿久根湊が交通の要所として発展もし、元禄3(1690)年に波留村小牟田に移りました。