黒木

祁答院のうちであった黒木は、島津歳久が当地を治めるときにその12ヶ村(虎居・時吉・湯田・船木・平川・久富木、佐志、鶴田、柏原、紫尾、中津川、求名)に含まれず、大村、藺牟田とともに直轄地でした。 祁答院の地はその後北郷氏が都城より移され、この頃宮之城と呼ばれるようになったともいいます。慶長4(1599)年に伊集院忠棟が島津家久に誅殺されると、北郷氏は都城に復帰し、東郷領主であった島津忠長(島津忠良の子・尚久の嫡男)が宮之城地頭職となります。この時黒木は宮之城島津家領となります。 かつて祁答院を治めていた島津歳久の孫・常久は文禄4(1595)年に日置を与えられていましたが、慶長6(1601)年に藺牟田、慶長9(1604)年に黒木も領地として与えらます。慶長19(1614)年に常久が亡くなり、跡を久慶が継ぎますがこの時大村に移され、黒木は宮之城島津家の領地になります。 寛永11(1634)年に豊州島津家久賀が帖佐から移り私領地となりました。豊州家の初代は島津家9代久豊の三男季久で、その七代目にあたる島津久賀は天草の乱に総大将として出陣した人物です。 鹿児島城下における黒木島津家の屋敷は現在の西本願寺の場所で、別邸が元鴨池動物園(現イオン鹿児島店)にありました。

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