溝辺

溝辺の溝辺城は鎌倉時代の末期に溝辺孫太郎によって築かれたとされます。文明18(1486)年に島津氏第11代忠昌は肝付兼固に溝辺城を与え、また忠昌によって伊地知氏が加治木の地頭に任じられていました。大永7(1527)年、伊地知氏は帖佐地頭・島津昌久とともに島津氏に背きますが、島津氏第14代勝久によって討たれ、このとき肝付兼固の子・兼演は加治木を襲い取ったとも、のちに勝久から加治木を与えられたともいいます。肝付氏は天文3(1534)年からは加治木に移り且つ溝辺も治めましたが、文禄4(1595)年、喜入に移ることになります。 江戸時代は直轄地となり溝辺郷は麓村、有川村、竹子村、三縄村、崎森村でしたが、寛永8(1631)年に加治木島津家が成立すると竹子村はその領地になりました。有川村も同年加治木島津家領となりましたが、万治2(1659)年に再び直轄地になっています。地頭仮屋は最初麓村にありましたが、宝暦3(1753)年に有川村石原に移ります。

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