曽於郡

曽於郡は代々税所氏が力をもっており曽於郡城(橘木城)にいましたが、文明15(1483)年島津豊州家2代忠廉に敗れその勢いは衰えます。永正16(1519)年から翌年にかけて伊集院氏と島津忠兼(薩州島津家4代忠興三男)が曽於郡城(橘木城)を巡って攻防、忠兼が勝利します。大永4(1524)年曽於郡城は島津氏第14代当主勝久(勝久の正室は島津忠興の娘)から本田兼親に与えられますが、翌年本田親尚が奪い、かつ大永6(1526)年には北郷氏第8代当主忠相が占領します。享禄3(1530)年、本田氏は北郷氏から奪還しますが、天文17(1548)年に本田薫親は庄内に退去、島津氏領となりました。 江戸時代は直轄領で、地頭仮屋は重久村にあり、その周辺に麓が形成されました。 明治3年(1870)までに、日当山郷と合併し、襲山郷となりました。