吉松

吉松は古くは筒羽野と呼ばれていました。島津荘の一部でしたが、文明6(1474)年の記録には北原氏の勢力下であったことが記されています。 永禄年間(1558-70)に北原氏の内部で争いがおこり、家臣で踊城城主であった白坂兼信が島津氏に吉松・栗野を献上したといいます。北原氏当主には島津氏より真幸が与えられ、吉松城も一族の者が居城しましたが、この者が島津の敵方伊東氏と通じたため真幸は没収され伊集院神殿村に移され、このあとを島津義弘が治めました。これ以前義弘は豊州島津家5代・島津忠親の養子に望まれ飫肥にいましたが本宗家に復帰、永禄7(1564)年に真幸の領主となります。飯野城に移るまでの短い間、吉松の鶴亀城に住んだといいます。また飯野城にいる間に、義弘が筒羽野を吉松と改めたとも伝わります。 江戸時代は直轄地で、地頭仮屋は鶴丸村にありました。