田代

平安時代後期から戦国時代にかけて、現在の鹿屋市南部と錦江町(旧大根占町)を禰寝院北俣、現在の南大隅町(旧佐多町、旧根占町)と錦江町田代(旧田代町)を禰寝院南俣といい、併せて禰寝院と呼びました。禰寝院南俣の一部であった田代は禰寝氏の庶流田代氏が治めていました。田代氏が築城したと思われる田代城(勝尾城)があり、田代氏は南北朝時代以降島津氏に従っていました。明応5(1496)年以降、禰寝氏の家臣となったと思われますが、天正元(1573)年に禰寝氏が島津氏に従うと田代氏もそれに倣いました。田代城北側に地頭仮屋がおかれ、その周辺に麓がつくられました。