姶良(吾平)

姶良は大隅正八幡宮(現鹿児島神宮)領であり、平良宗の弟や子らが得丸・末枝・末次に分かれて治めました。南北朝時代、得丸氏は畠山氏(北朝)に味方し、のち島津氏久に従って、15世紀後半は肝付氏に従いました。 天正5(1577)年に肝付氏が高山以外の領地を没収されると姶良は島津氏の直轄地となり、天正15(1587)年以降は伊集院忠棟によって麓などが整備されました。寛永15年(1638)年までの間に21家が姶良衆中として住んでいたことが伝わります。

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