山川

山川湊は中世からの湊として知られ、鎌倉後期には揖宿郡地頭職が大隅国守護領として北条氏の所職となっていたことからも、外港として重要な位置を占めていたためと思われます。南北朝時代に懐良親王が入ったのも山川と思われ、南朝方水軍の基地となっていたことがうかがえます。室町時代には指宿氏、戦国時代には頴娃氏が治めますが、天正11(1583)年島津義久は頴娃氏に対して山川湊の管理権が守護である島津氏にあることを通告、山川湊が琉球や東南アジア貿易の基地として重要視されていたことがわかります。 江戸時代は直轄地であり、指宿市役所山川庁舎の場所に地頭仮屋があり、石塀がのこります。使用されている石は当地でのみ産出され、島津家歴代当主の墓石にも使われている美しい山川石です。