13.肝付家歴代墓地

幕末の名家老・小松帯刀の父・肝付兼善の墓もある

喜入旧麓(きいれもとふもと)にある玉繁寺跡は、肝付家の菩提寺だった場所です。 それまで喜入を治めていた喜入氏が文禄4(1595)年に永吉に移り、加治木にいた肝付氏が喜入の地に入ることとなった際、玉繁寺も加治木から移されました。その後肝付氏が承応2(1653)年、第4代兼屋の時に御仮屋を現在の喜入小学校の場所に移し、新たな麓(喜入麓)ができたのですが、玉繁寺は喜入旧麓におかれた。 明治2(1869)年の廃仏毀釈によって廃寺となりますが、墓地には肝付家の歴代当主とその家族、歴代住職の墓等があります。墓地は斜面地に階段状に整えられ、高い場所からは桜島を美しく眺めることもできます。