46.串木野城跡
島津家久・島津豊久ゆかりの城
串木野忠道が最初の城主とされ累代居城したが5代忠秋のときに、島津貞久の勢力下におかれた。その後様々な勢力争いの舞台となるが、元亀元(1570)年に島津宗本家15代貴久の四男家久が隈之城地頭に補任されたときに同時に串木野も家久も任された。家久は天正7(1579)年に佐土原(現・宮崎市)に移るまでこの城を拠点とし家久の子豊久は串木野城で生まれている。 串木野城は北側に五反田川を配したシラスの山城で、南端部は宅地造成等により失われている。東側に堀切遺構がみられ、南方神社も城の一部であると思われる。