71.知覧城跡
知覧城の築城に関しては明らかではありません。南北朝時代以降、応永年間の一時期を除いて島津氏支流佐多氏の居城で、文献に初めて登場するのもこの頃です。 南北800m、東西900m、標高170m。本丸・蔵之城・今城・弓場城の4つの主曲輪を含む15の曲輪で構成されていますが、中世から近世初めにかけて使用されたことで改修・改築が重ねられて各曲輪が独立性が高く、その間を巨大な空堀があるなど、勇壮な姿が見られます。規模が大きく、シラスを利用した南九州の中世城郭の代表的な城として、平成5(1993)年に主要部分が鹿児島県内の山城跡では戦後初の国指定史跡となっています。 現在の知覧の武家屋敷群からは南西に1㎞ほどの場所に位置しますが、かつては知覧城の東隣に家臣団の屋敷などが、また南西部分に城主館があったと考えられています。