4.鹿児島城岩崎口跡

西南戦争城山籠城戦、最後の戦いの地

慶長6(1601)年から始まる鹿児島城の築城で、山城部分と下の屋形部分とが整備されたが、山城は警備上重要な場所であり、慶長15(1610)年に日置家の島津常久が城主(城番)となり上山城に住んで警固を行った。慶長19(1614)年の没後は城主は置かれず、新照院口、韃靼冬口、岩崎口の三口番所に城下士が詰める番所制となった。 明治10(1877)年の西南戦争に際して、城山岩崎口の砲塁が最後の戦いの場所となった。西郷隆盛は城山を下り岩崎口に至る途中で被弾、別府晋介の介錯を受ける。また桐野利秋、村田新八、辺見十郎太、池上貞固らが最後まで戦い絶命した場所であり、砲塁のすぐ近くに「南洲翁終焉之地碑」が建てられている。

お問い合わせ先 鹿児島市文化財課099-227-1962
観光ガイド かごしまぶらりまち歩き099-208-4701

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